コープながのの広報誌「Socia(ソシア)」2021年3月号

コープながのの組合員広報誌「Socia(ソシア)」をご紹介します。生活協同組合コープながの


>> P.8

エピソード11涙の理由コープデリグループの組合員数は約510万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。illustration:MaikoDake0コープの宅配で、加入から2年を迎えると贈られる記念タオル。毎週の配達の中にそれを見つけた和子さんは、宅配センターへ何の気なしにいつもは書かないメッセージを書いた。《2先日8年付き合った高校の同級6歳で結婚しました。最初生と2の配達担当だった茅ち0年前、幼稚園生だった娘は、野さんに、の20年ぶりに会いたいなぁ……》「茅野さんは話していて楽しい人でした。私は専業主婦で社会から離れていたから、コープの宅配のお兄さんと話すのが、社会との接点みたいなところもあった」と和子さん。んメッセージを受け取った久喜野さんは、センター(埼玉県)の今こ茅野さんが今もコープに在籍していることを確認し、本人に連絡。その後、和子さんに電話した。「私は病院に勤めていて、その夜、事務所でひとり仕事をしていました。静かだったので携帯電話のブーっという振動音で着信に気がつきました。出てみたら今野さんが『茅野さんが会いに行けるそうです』って。今野さんのやさしい声としゃべり方、最後に茅野さんに会った日の『もう来週から配達に来られないんですよ』と言った悲しい笑顔、馬灯のようそしてこの2に思い出されて、電話口で泣い0年が走そうまとうのてしまいました」自分でも涙の理由がわからなかった。でも私全力で生きてきたな、と和子さんは思う。………§………夫と離婚したのは、娘が小学0代半ばで取ったのですが、5年生のとき。「ママもういいよ、離婚しちゃいなよ」という娘の言葉で決意した。娘と2人の生活では、まず就職先を見つけるのに苦労した。「医療事務の資格を33年くらい派遣でいろいろなところで働いて、やっと職員にしてくれる病院を見つけました。だから、娘に別の夢があるなら応援しようって思ったけど、『看護師を目指したら?』って言ったんです。手に職があれば困らなかったのにって、私が痛感したから」母娘2人の生活を始め、仕事から帰るのはいつも夜。「娘がおなかすいたって待ってるんですよ。まだご飯作れなくてね。だから、コープの宅配が週に一度家に届いていて、いつも本当に助かった。届いたもので夕飯を作って必ず2人で食べました」娘の聖き佳さんは和子さんの父よかである祖父によく懐なついていた。「おじいちゃん子で、とってもかわいがってもらっていました。数年後、父ががんを患って、結局4度、同じ病院で手術をしました。生前、父は私に『聖佳と2人で絶対に幸せになるんだぞ』って言ってた。父が最期まで自分で一生懸命呼吸をしている姿を見て、娘の中で何かが変わったみたいでした」聖佳さんは看護師になることを決め、看護大学へ進学。卒業後、かつて祖父が入院生活を送った病院に就職した。「そこ落ちちゃったらどうするの?って思ったけど、娘は祖父がお世話になったその病院に恩返しがしたい、絶対に勤めたいって、他を受けませんでした」聖佳さんは現在、その病院の看護師として働いている。2020年10月、和子さんは茅野さんと20年ぶりに再会し、年の時の流れを噛みしめた。2030記念に一緒に写真も撮った。「20年、あっという間でした。年もきっとお祝いしてもらえるんじゃないかな。娘も、私の母も近くに住んでいて、みんなコープの宅配にお世話になっています。コープさんに感謝」母と娘の20年、いつも食卓はあたたかかった。Web版はこちらから読めますあなたのエピソードをお寄せください。コープ職員との心に残る出来事を随時募集しています。氏名・電話番号・組合員コードを記入し、郵便(〒336-8526埼玉県さいたま市南区根岸1-4-13コープデリ連合会コミュニケーション推進部宛)か、左記のWeb応募フォームよりお送りください。08このお話は、実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、物語にしています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。


<< | < | > | >>